GWに石巻を訪れた。
今回は、震災遺構(メモリアル)を3か所巡った。9年ぶりの石巻は既に、新しい街並みが出来ていて、そこに生活の匂いがした。古い工場を遠くに見て新しい道、家々、お店が立ち並び、人の気配がしている。震災の翌年は更地でまだ「無機質」さえ感じる場だった。最初の門脇小学校の遺構は、震災火災が発生し、学校周辺が火の海になった場所。教室内が震災当時のまま保管されており、ことの大きさを物語っていた。
石巻で感じたこと。3ケ所の遺構に足を運び感じたこと。表現の自由と訴える力。「災害にあった建物そのものがそこにそのままある」これは共通している。様々な展示物があり、そこに言葉が添えてあり、思いを伝えている。しかし訴える力、遺構から発するエネルギーがどこか違う。見て読んで涙を流すのは同じなのに、体に感じるものがどこか違う。嗚咽と共にその場にいた自分の体に起きていたあの感覚。
その災害の背景が違うからか,,,?学校内にいた子供らが犠牲になった学校と、犠牲者を出さなかった学校。そして、町のために町民のためにみんなで最後まで奮闘したが、津波でほぼ町ごと流された町。いや違う。それはあくまで背景であって、その場で受けた印象は「そこで起こった現象を感じ取れるか否か」で変わっている。
6時間かけた3ケ所巡り。自分が感じた「違い」を道中でずーっと考えていた。帰宅後も考えた。
そして、今日降ってきた”思い”。それは「たぶん訴える側の思いが違う」ということ。誰に何を分かってほしくて、それをどう伝えていくか?これが違うのではないか?ということ。
どこで、いつ、何のために、何を、どのように、誰に伝えていくか?この思いの強さが訴える力に影響を及ぼしている。と感じる。伝えるための5W1H大事にしていきたい、と改めて思う。
自分が生きている中で、経験してきた事を発信したり話すことで伝えていく。この発信が、誰かの目にとまり、ほんのわずかでも心を動かされる素:刺激になればこんなに嬉しい事はない。反面教師であってもいい。 2023,6,6
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