つれづれ

お帰り、自分。

50過ぎても惑う。60になっても惑う。 ついこの間、ウイルス性腸炎で10日ダウンした。この回復の遅さはお歳なのか?すぐに回復しない位疲れていたのか?「まあいっか。動けないんだから仕方ない。体の訴えるままに静養しよう」と腹をくくり、布団の中にいる日々を過ごした。二日は本当に動けなかった。気が付くと寝ている状況。いくらでも寝ていられた。3日目になると「もしかして夕飯のおかず作っておかなきゃ?いけない?」と思考パターンでのワタシのイヤな癖が出てくる。具合が悪くて寝ているのに、何を考えているの?具合が悪くて寝ている人が、何でご飯の用意するの?そうだよね。いいんだよね、寝ていれば。それなのに「よっこらしょ」と起き台所に立つ。3回に分けて少しずつ作った。「はー」とため息をつきながら包丁を握る。 これ、ワタシの本当に悪い癖。昔、末っ子が3歳の頃うつになった。しつこい頭痛としんどさで家事が進まない。洗濯物は干すのは好きだけど畳んで片づけるのが面倒くさい。夕飯のおかずはお惣菜を買ってくることが出来ず、しんどいくせに手作りをする。夕方になると何かにとりつかれたように餃子だのコロッケだのを作り始める。その後、4人の子どもたちと夕飯食べて、お風呂に入り、読み聞かせをして寝かせる。合間隙間にPTA活動が入る。 こんなことをしていて、よくなるはずがない。体からのサインが出ているのに、「しんどいよ」「もう頑張れないよ」って体は訴えているのにワタシは完全に無視。「いやいや、まだまだ」「出来ることだけすればいいんだから」とか言って更にあおっちゃう。 そんな生活をしていたから、薬に頼る日々がいたずらに長引いた。なんなんだろう、、、。具合いが悪いのに頑張っている自分はカッコイイ、とでも思っていたのか?ワタシってすごいでしょ?とでも言いたかったのか?本当に意味不明。 それから何年かしてゲシュタルト療法に出会い、何回も何回もワークを受けることで「頑張る自分を手放す」「体からの声に素直に従う」「しんどい時はしんどいと言う」ことが出来るようになっていった。あの頃、私の体はワタシのものではなかった。ゲシュタルトで自分自身を癒し続けることで体と心が自分のもとに帰ってきた。「お帰り、自分」 今回のダウンで分かったこと。体調が悪い時は体と心のエネルギーがどんどん減る。しっかり休まない限り補充はできない。そしてそんな時こそ不健全な心や思考に戻っていく。健全な体にこそ健全な心が育つってよく言ったものだ。 この年にして、今だ自分の体を優しくお子守できなかったわけで。50過ぎてもいくらでも惑うわけ。私の体、ごめん。 まあ、このことに気づいたでけで、今回のダウンは意味があった。と思う。      

 

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